A) 導入
今週寄せられた世界銀行関連の報告群に通底するのは、経済成長や貧困削減の「量的達成」と、それを支えるはずの教育・雇用の「質的空洞」との乖離である。数字が改善されるほど、その裏側に潜む構造的課題が鮮明になるという逆説が、複数の地域で同時に浮かび上がった。
B) 事実の整理
今週公開された記事が描く世界の姿を、まず事実として整理しておく。
ウズベキスタンでは、貧困率が2021年の17.0%から2025年には5.8%へと急低下し、370万人が貧困から脱出した。中間層の比率も37%から72%へと拡大した。しかし新規雇用の85%は非公式部門が占め、経済機会はタシケント市に集中し地域格差が広がっている。女性の労働参加は停滞し、教育の地域格差と社会保護の縮小も課題として指摘されている。
コロンビアのバランキージャでは、公立学校1・2年生6530人を対象とした読み書き能力評価(EGRA)の結果、学年間の進展は認められたものの、平均として期待水準以下であった。1年生の42%、2年生の28%が習得遅れの高リスク範囲にあり、年齢・性別・出身国による格差も残存している。
ボツワナでは、ダイヤモンド収入の減少と経済収縮を受けて公債が急増し、教育体制を供給主導型から労働市場の需要に連携させる改革が急務とされている。職業訓練機関の自主権強化やインターンシップ拡大が提言された。
モロッコでは世界銀行との10年間の戦略的協力枠組みが発表され、若者と女性の就業機会拡大を核に、人的資本強化が三つの支援柱の一つに据えられた。
ブルキナファソでは1.2億ドルの融資が承認され、12万世帯を対象に技能開発と女性の経済的自立強化が進められる。フィリピンは上位中所得国へ移行したが、さらなる発展にはインフラ・人的資本への投資継続が不可欠とされた。ラオスでは保健支出が国家予算の4%にとどまり、地域基準を下回る状況が続いている。
C) 論評
C1) 「貧困削減」の達成が露わにする次の断層
ウズベキスタンとフィリピンの事例は、同じ「成功」の物語のように見えて、その中身は異なる位相にある。フィリピンは上位中所得国入りという節目を迎えたが、世界銀行はそれを終点ではなく「踏み台」と明確に位置づけ、人的資本への投資継続を次段階の必須条件として挙げた。一方ウズベキスタンは、貧困率の数値こそ劇的に改善したが、新規雇用の85%が非公式部門に偏るという事実が、その達成の脆さを物語っている。雇用の質が伴わなければ、貧困脱出は一時的な浮上にとどまり、次の下降を阻む安全網が存在しない。
両者に共通するのは、経済指標の改善が「構造転換の完了」を意味しないという点である。成長の果実が特定の都市や産業に集中し、教育や社会保護の整備が追いつかない状況は、ウズベキスタンのタシケント集中と地域格差の拡大に端的に現れている。上昇した人々が再び落下しないための仕組みを、成長の途上で同時に構築できるかどうかが問われている。
C2) 教育の「量」から「質」へ――コロンビアとボツワナが示す課題
コロンビアの事例が提示する問題は、学校に通っているだけでは不十分だという、教育政策の古くて新しい難題である。1年生の42%が読み書き習得遅れの高リスク範囲にあるという数字は、就学率の向上だけでは測れない学習の質の問題を直接的に突きつける。2022年比では改善が観察されているとはいえ、依然として平均が期待水準以下であるという事実は、システム全体の底上げがいかに難しいかを示している。また年齢・性別・出身国による格差が残存しているという指摘は、教室の中にもすでに不平等の構造が持ち込まれていることを意味する。
ボツワナが直面する課題は、これをさらに上の教育段階で引き受けたものと言える。教育体制が「供給主導型」になっているとの指摘は、学校が社会の需要とは切り離されたまま動いていることを意味する。職業訓練機関の自主権強化やインターンシップ拡大という処方箋は、教育と労働市場の断絶を埋める試みだが、それはウズベキスタンが報告書の中で求めた「職業訓練の拡充」と重なる。コロンビアの初等教育段階での読み書き不全、ボツワナの高等教育・職業訓練段階での需給乖離、ウズベキスタンの非公式雇用の横行は、教育の各段階で質の問題が積み重なっていく連鎖を示している。
C3) 「女性」という共通の取りこぼし
今週の記事群を横断したとき、もう一つ浮かび上がる共通項がある。女性の問題である。ウズベキスタンでは女性の労働参加の停滞が明示的な課題とされ、その要因として保育サービスの不足が挙げられた。モロッコとの協力枠組みでは若者と並んで女性の就業機会拡大が核心に置かれ、ブルキナファソの支援プログラムでも女性の経済的自立強化が明記されている。
これらの事例が指摘する「女性の取りこぼし」は、単に倫理的な公平性の問題ではない。女性が経済活動に参加できなければ、世帯の貧困脱出は一人の稼ぎ手に依存し続け、社会保護の縮小に対して脆弱なままとなる。保育サービスの拡大という施策が、教育政策でも経済政策でもなく社会政策として語られがちな点は、女性の就労を阻む要因が「インフラとしての育児」に根ざしていることを示唆している。この認識が各地域の報告書に共通して現れていることは、偶然ではなく、世界銀行が横断的に重視する視点の反映と読むことができる。
C4) 日本との対比――「質の問題」は先進国も無縁ではない
日本との直接的な対比は慎重であるべきだが、一点だけ指摘する価値がある。コロンビアで問われた「就学していても学べていない」という問題、ボツワナで問われた「学んでも労働市場と接続できていない」という問題は、程度や文脈は異なるとはいえ、日本の教育論議においても繰り返し取り上げられてきた論点と構造的に類似している。教育の「量」は確保しながらも「質」や「接続」に課題が残るという問いは、所得水準を問わず教育制度が共有する難題である。今週の記事群が示すのは、その難題が低・中所得国固有の問題ではなく、経済発展の段階を超えた普遍的な構造問題であるという示唆である。
D) 結び
貧困率の低下、中間層の拡大、上位中所得国への移行――今週報告された「達成」の数字は確かに前進を示しているが、その達成を持続可能にするための教育の質・雇用の質・女性の包摂という課題は、いずれの地域でも未解決のまま次の段階へと持ち越されている。量的な目標を達成した後に本当の困難が始まるとすれば、私たちは「成功」をどの時点でどのように定義するべきなのだろうか。
本記事は一次情報をもとにWorldEdu Report編集部が編集しています。編集方針:運営者情報
